第二章 画術師

 まばゆい銀の長髪。穏かさの中にも、強い意志を感じさせる金の瞳。優形で長身の青年──いや、その見た目には不釣合いなほどの威厳を放っていますが──は、何ごとか思案しながら、手にした書物を繰っていました。
 師匠が歩くと、それに合わせて長い外套と、ひよこの柄が入った可愛いエプロンがゆらゆら揺れます。似合うと思っているのかどうか……本人はいたって真面目な顔つきです。これだけ見ても、彼が周囲の人々に「変わり者」と呼ばれている理由が、何となく生徒たちにも察することができるのでした。
 そして彼の肩にはオウムともカラスともつかない奇妙な黒い鳥が止まっています。たいそう目つきの悪いその鳥は、落ちつかない様子で講堂内を見回し、弟子たちを睨めつけていました。
 
 「アーティス先生、話というのはなんでしょうか」
 痺れを切らしたテンペラが尋ねると、青年は顔を上げました。
 「ああ、すみません。それでは皆さんいいですか」 少女達はそれまで雑談などしていましたが、一斉に口を閉じ、そちらに注目します。
 「君たちがここに来てから、それなりの時が過ぎました。きょうは全員の実力を、この目で見せてもらおうと思って呼び出したのです」
 「それって試験ですか」 パステルが挙手すると、師は頷きました。
 (ぬ、抜き打ちじゃない。ひっどぉい)
 クレヨンは大いに不満を感じましたが、師匠に嫌われるのが怖いので態度には出しませんでした。ほかの生徒たちは落ちついたもので、速やかに各々の画具を準備して──いえ、ひとりクーピィだけは不安な面持ちをしています。

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 赤い油絵の具が盛りつけられた画布。荒々しい表現で描かれた"それ"をテンペラが投げると、激しい焔が燃え上がり、周囲を熱気で包み込みました。間を置かず、今度は青い画布を放ります。
 「凍てつけ!」
 彼女の叫びとともに炎は打ち消され、気温が急激に下がりました。弟子たちの間から溜息が漏れます。テンペラは誇らしげに背を向け、席に戻るのでした。
 「やっぱりテンペラはすごいな。物理的な力を操ることにかけて、僕たちの中で彼女の右に出る者はいないだろう」
 「派手なだけじゃん」
 クレヨンは、マーカーの講釈に納得がいかないように呟きます。

炎に包まれて、飛び散る氷のつぶて。テンペラの魔法の威力は凄まじいものでした。

 「よろしい。ですがまだ、描画の速度に問題があるようですね。テンペラのように油絵を主画材にすると、絵の準備に時間がかかってしまうのが難点です。特に攻撃の力として使う場合には、それは命取りになるでしょう。あらかじめ絵を持っている時はよいのですが、戦いの場で描くとなると相手は待ってくれませんからね。よほど手際をよくするか、補助の手段としてほかの画材にも力を入れるか……今後の課題はそれです。もちろん今の"画力"に満足しないで、力そのものを上げるよう努力しなさい。以上です」
 「は、はい」
 予想以上に厳しい師の言葉に、テンペラの表情が強張ります。今度は別の意味で、弟子たちから溜息が漏れるのでした。
 
 続いて、マーカーが前に出ます。手にしたペンを画板の上で走らせると、白い鳩が現れて飛び立ちました。しかし、ものの数秒でそれは消えてしまいます。紙を取り替え、新たに絵を描き始める少女──今度は眼前に、長いフルーレ(細身の剣)が出現しました。それを手に取り、華麗に振り払うマーカー。暫くするとそれも消滅しました。アーティスに一礼して、席に戻ります。
 「マーカー、すごいすごい」 クーピィが無邪気に拍手すると、彼女は微笑んで義妹の頭をなでました。
 「ありがとう。でも、まだまだだよ。先生のお言葉を聞いてごらん」
 
 「マーカーは具現化を得意としていますね。しかし本人も気づいているでしょうが、その持続時間があまりにも心許ない。特に生物の具現は、実用目的ではやらないほうがいいでしょう。手品の域を脱していません。今後はまず、その効果を長持ちさせる方向で修行して下さい。素早く描いた絵で持続させるには"画力"が弱いので、今はじっくりと時間をかけて描いた方が善いようですね。以上です」
 「はい。ご指導ありがとうございます」
 マーカーは凛々しく答えると、次いでクーピィにそっと囁きました。
 「ほら、ね」
 
 次はアクリルの番です。少女は無表情のまま歩み出ると、水彩絵の具を用意して筆を流しました。途端、彼女のまわりに陰鬱した"気"が充溢します。それは講堂内にいる全ての生者たちの精神(こころ)に、重くのしかかるのでした。
 暗黒の力──ふとそんな言葉が、マチエールの脳裏を掠めます。彼女が最も嫌悪する「魔界の者」と同じ……いや、そんなはずはないと、少女は自分に言い聞かせました。しかしマチエールは、どうしてもこの"負の力"とは相容れることができない……と感じるのでした。
 ところがクーピィだけは、何が起こっているのかわからない、といった表情でぽかんとしています。
 「ねえねえ。アクリルの魔法って、いつも何をしてるの?」
 席に戻る少女は、義妹がそんな可愛い質問をするので、思わず吹き出しました。
 「あなたには全然効果がないのね。いつもの事だけど」
 魔法が通じなかったのに、何故か嬉しそうなアクリル。ますますクーピィは首を傾げてしまいます。
 
 「そうですね……今のところ、とくに言う事はありません」
 アーティスの言葉はそれだけです。これは今に始まったことではなく、師はアクリルについていつも、あまり多くを語ろうとしないのでした。
 「アクリルがすごいって事なのかな。でもテンペラでさえ色々言われてるのに」
 「私が異端だからよ」
 クーピィの呟きに、アクリルが小声で答えます。はっとして義姉の顔を見ますが、その表情は相変わらず無機質で、何を考えているのかわかりませんでした。
 
 やがて気分も落ち付いたのか、マチエールが静かに登壇します。どんな魔法を使おうかと思案しながら、ふと足元を見れば──先ほどの邪気に当てられたのでしょうか、一匹の蝶が床を這いずっていました。
 憂いた表情でそれを手にする少女。おもむろに鉛筆を取り出し、その姿を丁寧に書き写します。そして軽く色をつけてやると、なんと蝶は息を吹き返し、窓の外に羽ばたいてゆくのでした。
 「いやあ、大したものだわ」 じっと見ていたパステルが、感心してひとりごちます。
 
 「"癒し"、そして守りの力。その分野において、マチエールの能力は相当なものだと評価します。しかし、蝶のような小さな生き物ならよいですが、もっと大きな……例えば人などを癒すとき、あなたの"画力"では自分の生命を削ることになります。もっと修行して、強い"画力"を身につけてください。でなければ、強力な"癒し"を使うことは認められません。防御の魔法についてはこの限りでありませんが、やはり力があるに越したことはないでしょう」
 「はい、承知しております」
 「それと君は、ほかの弟子たちに遠慮しすぎている所がありますね。一歩譲るのも美徳かもしれませんが、もう少し積極性を身につけるべきでしょう。以上です」
 「そ、その……はい、頑張ってみます」
 話が終わるとマチエールは、来たときと同じく静かに降壇しました。
 
 「さて、私の番ね」 パステルが元気よく席を立ちます。胸のポケットから、淡い色の多彩なチョーク(のようなもの)を取り出すと、アーティスの横にある黒板に、四角の枠を何個も引きはじめました。
 (私はこの十二色で、世界も表現できると信じる) 彼女は不規則な大きさに分けられた枠の中に、手早く様々な場面の絵を入れてゆきます。完成に近づくにしたがって、その全貌が見ている者にも理解できるのでした。
 「お話になってる」 クーピィは連続した絵を目で追い、感嘆の声を上げます。
 「あの子、いつの間に新しい芸を覚えたの? でも……こんな描きかたは邪道よ」
 テンペラは、その斬新な発想を誉めることはしませんでした。認めたくない、負けたくないといった表情です。
 「どうでもいいわよ。まあ、少しはすごいけど」
 クレヨンもあまり嬉しそうな顔をしていませんでしたが、この少女は誰にでもこんな感じなのでした。
 
 「パステル、面白い作品ですね。着眼点もよい。しかし、その……」
 「どうかした? 先生」
 「魔法はどうしたのでしょうか」
 アーティスが苦笑いしながら尋ねると、パステルはしまった、と舌を出します。 「ごめん、忘れてた」 弟子たちの間から、今度は笑い声が聞こえてきます。
 "仕方ない"という風に師匠も笑っていましたが、改めて彼女の絵を見て──ある事に気づき、急に真剣な表情で言うのでした。
 「合格です。席に戻ってよろしい」
 意外な言葉に戸惑うパステルでしたが、はいと返事をすると、そのまま自分の席に向かいます。

そこには、魔物が世界を滅ぼそうとする絵が描かれていました。

 黒板に描かれていたのは、『封印されていた魔物が蘇り、お城を襲う。それを魔法使いが追い返す』という、ごくありきたりな物語でした。
 (ひどく大雑把だが、これは予知か──それとも) アーティスは、弟子たちをここに呼んだ"真の目的"のことを考え、戦々恐々たる思いをめぐらせます。


 

 「先生!」
 大きな声に驚いたアーティスが足元を見ると、いつの間にかクレヨンが、彼のエプロンにしがみついていました。パステルの事を誉めたので嫉妬したのでしょうか。
 「ど、どうしました」
 「試験、試験。わたしの魔法は見てくれないんですかぁ」
 クレヨンが潤んだ目で迫るので、慌てて師は答えました。
 「もちろんです。あなたの魔法を見せてください、クレヨン」
 少女の瞳が燦然と輝きます。とても先ほどまで、抜き打ちに不平を漏らしていたとは思えない現金さでした。意気揚々と講壇の中央に立ち、手にした固形絵の具で「宙に」ウサギの絵を描きます。そして今度は胸を出し、自分の肌に独特の"印"を結びました。すると、空中の絵と胸の印が眩しい光を放ち、同時にクレヨンの姿が変貌を遂げます。
 発光がおさまったあと、そこに現れたのは──床に落ちたクレヨンの衣服と、一羽のウサギでした。元気に跳ねて、アーティスの胸に飛び込みます。
 
 「"変化"、これはクレヨン天性の才能といってよいでしょう。まず何もない所に絵を描くというのは、容易にできる事ではありません。通常かなりの熟練を要します。しかし君は、弱い"画力"でそれを行ってしまう。私としても感に堪えません。が──」
 そこまで言うと、アーティスは咳払いして続けます。
 「魔法の効果も切れたことですし、そろそろ離していただけないでしょうか」
 なんと元に戻ったクレヨンは、裸のまま師匠に抱きついていました。破廉恥です。
 「あっ、いやん。先生恥ずかしい」
 白々しくはにかむ少女。クレヨンは服を着ると、にやにやしつつ席に戻りました。
 「但し。まだ大きな生物には変化できませんし、マーカーと同じく持続時間も短い。その能力だけに特化するなら、地道な修練が必要ですよ」
 「はあい」 聞いているのかいないのか、彼女はやたら上機嫌です。
 「大胆だなぁ、クレヨン」 クーピィは呆気にとられて言いましたが、クレヨンも同じように呆れた顔で返します。
 「なに落ちついてんの。次、あんたの番よ」
 
 (羊が一匹、羊が二匹……あぁちがう、これは寝るとき。ええと……じゃなくて、なんだっけ……)
 「ちょっとあんた、やる気あるの! 早くしなさいよ」
 みんなの前でガチガチになっているクーピィに、クレヨンの罵声が飛びます。
 「静かに。急かしたら余計緊張するだろう」
 マーカーは頭上からクレヨンをたしなめると、安心できるようにクーピィに軽く手を振りました。  (ほら、心配しなくていいよ。だいじょうぶ)
 それを見た末弟子はぎこちなく頷くと、外套の隠しポケットから、絵の具をロウで固めた細長い棒を取りだします。そして姉弟子と師匠の見守る中、目の前に広げた画用紙に花──というか、かろうじて花に見える絵──をぐりぐりと描き始めました。

クーピィの絵は、ただの落書きに見えました。  それは弱い光を放ち、変化をあらわします。絵のあった場所に芽が生え、見る見る成長すると、やがて「彼女が描いたままの」一輪の花が咲きました。

 その不細工な花を手に取ると、クーピィはおずおずと師匠に差し出します。それを受け取ったアーティスは、優しく弟子の頭を撫で「ありがとう」とお礼を言うのでした。

 どう見ても大した事のない魔法ですが、あまりにも微笑ましい光景のためでしょうか。不思議と、誰もそれを笑おうという気持ちにはなりませんでした。

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 (どうもヘンなのよね、絶対あんなので合格なわけないし)
 アーティスがクーピィの魔法に関して「善い」とも「悪い」とも言わないので、クレヨンは結局だから何だったのだろうか、という疑問で胸がいっぱいになるのでした。明らかに、アクリルに対する"それ"とも違う態度。これはいわゆる───
 
 「えこひいき、ってやつなんじゃないの」
 先程とは打って変わり、思いきり不機嫌そうに愚痴るクレヨン。それを聞いて、
 「クーピィは小さいんだから、他の子よりも修行が遅れてるのは当然でしょうが」
 パステルが軽くいなすように、風景をスケッチしながら答えました。 
 「わたしだって同い年なのよ。この差はなによ!」
 「あれえ、『こども扱いするな』って、いつも言ってるのはクレヨンじゃなかった?」
 痛い所を突かれたので、お下げの少女はぐっと言葉に詰まり、そっぽを向きます。
 「いいじゃないの。人間はね、だれ一人として同じじゃないのよ。あの子にはあの子なりの"何か"があるはずだし、クレヨンだって、先生があんただけの才能があるって認めてたじゃない。アイツとあれが違うこれが劣ってるなんて、比べてみるのも馬鹿ばかしいわ。自分にできることを精一杯やってれば、それでいいんじゃない」
 クレヨンは、殊勝な事を語る姉弟子を、お化けでも見るような目で見ました。途端に照れたパステルは、スケッチブックを閉じて付け足します。
 「なんてね。先生の受け売りよ」

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 夕焼けが、西の空を真っ赤に染めています。クーピィは独り塔下の繁みで地面に落書きをしていました。木の枝で何度も、花の絵を描こうとしていたようです。

「どうしてこんなに絵がへたなのかなぁ」 クーピィの心は、こと絵に関しては、いつも暗く落ちこんでしまいます。

 「あたしって、どうしてこんなに絵がへたなのかなぁ」
 自分の実力が姉弟子たちに及ばないことは、強く自覚していました。でもそれが今日の試験でさらに浮き彫りにされ、実感を余儀なくされたのは、彼女にとって落ちこむ出来事でした。
 そんな風にぼんやり地面を見つめていると、頭上から穏かな声がします。
 「もう日も落ちてきました。早く塔に入らないと、風邪をひきますよ」
 「先生……」
 クーピィが何か言おうとしましたが、アーティスはそれを制止して言葉を続けます。
 「物事は──いえ何ごとも、見せかけの評価で優劣を決めてしまうのは、愚かなことです。そして、今が絶対でもありません。世の中の全ては、必ず変化していきます。それが善くても悪くても」
 幼い弟子は、師の言葉をじっと聞いていました。
 「あなたには、あなたにしかできない魔法があるはずです。今は気づかなくても、それはいつか、何かを変える力になるでしょう。だから」
 「だから……?」
  
 「自分の力を信じて描き続ける、それが『画術師』です」
 
 (あたしにしか、できない魔法。あたしにしか描けない、『画術』……)
 クーピィには、まだその意味はよくわかりませんでした。でも、たった今自分の心に生まれた、言葉では表せない強い鼓動は──確かに感じているのでした。

画術師クーピィ
Art magician coopy