"魔法" ───奇跡とも神秘とも言われる、不思議な力。
「カンヴァス」を含む七つの大陸には、"それ"が当たり前のように存在していました。謂れなど知る由もありませんが、人々は其処を『魔法世界』と呼びます。
これから綴るのは、その中でもひときわ異彩を放っていた「ある魔術」と、それにまつわる魔法使いたちの物語です。
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都から離れた辺境の地。その小高い丘に、周囲の雰囲気には似つかわしくない古びた塔がそびえています。いつしかこれは、近傍の住民から『蜃気楼の塔』と囁かれるようになりました。
なぜならこの建物、近寄ろうとすると濃い霧に蔽われ、いくら歩いても辿り着くことができないのです。そのため塔には「妖怪が棲んでいる」だの「天界に通じている」だのといった、数々の不気味でいい加減な噂が流れていました。 |
「クーピィ、クーピィ!」
甲高い声が響きます。声の主はまだ幼い少女で、山吹色のお下げ髪をゆらしながら、塔の外面に沿った廊下を駆けてゆきます。そして規則的に並んだ絵画の横をすりぬけると、いちばん奥にある扉の前で立ち止まり、勢いよく開け放ちました。
その向こうには──少女と同い年か、それより下ぐらいでしょうか。部屋の片隅にあるベッドのさらに隅っこで、小さな女の子が毛布にくるまっています。寝息を立てるその表情は、何とも穏やかなものでした。
「あんた、わたしの絵の具勝手に使ったでしょ」
そんな事にはお構いなしで、少女は情け容赦なく布を引き剥がします。
クーピィと呼ばれた女の子は、寝ぼけた眼をこすり相手を見つめ返しました。まだ夢見心地で呆けているようでしたが、ようやく質問に答えます。
「あたし、クレヨンの絵の具なんか使わないよぉ」
「なんかとは何よ。なんかとは。あんたじゃなかったら誰なのよ」
そのクレヨンは、弁明を聞いても納得いかないという剣幕です。
「わたしが借りたのよ」
ふいに横から、別の声が割って入りました。デニム地の"つなぎ"を着た活発そうな女の子が、笑いながら近づいてきます。ブラウンの髪に黒い瞳。そして鼻の上のそばかすが特徴的な、その少女が言うには──『スケッチをしていたら絵の具が足りなくなったので、近くにあったクレヨンの鞄から拝借した』との事でした。
「なによ、あんただったの」 呆れたような顔でクレヨンが言うと、間髪入れず彼女の"広い"おでこが指ではじかれました。
「姉弟子に向かって、口のききかたがなってないわね。パステル先輩とお呼び」
「ふんだ。ふたつしか違わないのに先輩面はやめてよね。鞄はどこよ」
そばかすの少女はにやにやしながら、自分の来た方向──塔の中庭を指差しました。クレヨンは額をさすり唇をとがらせると、ぶつぶつ言いながら鞄を探しに出ていこうとします。
「そうそう、先生が『全員講義堂に来なさい』だってさ」
パステルがクレヨンの背に呼びかけると、彼女は首が180度は曲がろうかという勢いで、顔だけこちらに向けて叫びました。
「アーティス先生が? いくいく絶対に行く。死んでも行くわ!」
少女の目は恐ろしいほどの輝きをはなっています。いつもの事なのですが、これにはパステルも思わず退いてしまうのでした。
「あは……はいはい、よろしくね」
「先生、どうしたの?」
先ほどから二人の様子をうかがっていたクーピィが、追って口を開きます。今の間にすっかり準備を整え、正装(と呼べるほど立派なものではありませんが)に着替えていました。
花びらを模ったスモックに、先が三ツ又の外套。頭上でニつにしばった髪と後ろの長いポニーテールがあいまって、さながら小動物のような愛らしさを醸し出しています。
「さあ? こういう時は大抵ろくなことがないんだけどね」
「おどかさないでよぉ」
「クーピィは相変わらず気が小さいわね。だいじょうぶだって」
そう言って後輩の頭に軽く手を乗せると、パステルは鼻歌をうたいながら部屋を出ていきました。
「講義堂って、遠いからきらい。なんで塔の中にないのかなあ」
つまらない愚痴をこぼしながら、クーピィはポシェットをぽんぽんと放り投げては掴み、渡り廊下を歩いて行きます。そんな事をしていたら案の定受け止めそこなって、小袋は地面に転がってしまいました。
あせって屈み込むクーピィ。その眼前で、何者かが素早くポシェットを拾い、彼女に手渡します。
「はい。気をつけなきゃだめだよ」
クーピィが恥ずかしそうに見上げると、そこに立っていたのは彼女の姉弟子のひとりでした。プラチナに輝く髪と、透き通るような碧眼を持ったその少女は、一見すると少年にしか見えない「いでたち」をしています。すらりとした体躯を優雅にひるがえし、少女は続けました。
「大事なものが入ってるんだろう? 投げたりしないほうがいいよ」
そう言って微笑むと、そっとクーピィの手をとり歩き出します。
「さあ行こう」
(マーカーは、いつも恰好善いなあ)そんな事を考えながら、彼女は義姉の後頭で束ねられた、部分的に黒い髪がなびくのをぼんやり眺めているのでした。
「マチエール、何しているんだい。先生がお呼びだそうだよ」
はたと立ち止まるので、クーピィは思わずよろけそうになりました。それを姉弟子が慌てて支えます。
気を取りなおした彼女が此方を見ると、そこには馬小屋があり、ひとりの少女が甲斐がいしくその世話をしているのでした。美しい金髪を三つ編みで括り、顔には大きな丸眼鏡をかけています。
フリルのワンピースに身を包んだ少女は、申し訳なさそうに笑顔で答えました。
「ごめんなさい。この子たちのあと、次はコンテにご飯をあげないといけないの。少ししたら私も行きますから、お先に向かっておいてくださいな」
「うんわかった、ご苦労さま」
馬に続いて犬の世話とは──自分にはとても真似できない甲斐性だと、クーピィは思いました。
「"パレット"の動物の飼育は、ほとんど彼女が引き受けているんだから申し訳ないよ。もちろん僕だって手伝うけれど、あの子の世話好きにはとてもかなわないな」
それを聞いたクーピィは、そういえば自分もよく面倒をかけている事に思い当たり、己は動物なみだと恥じ入りました。
そうして歩いているうちに、早くもクーピィは疲れてきてしまいました。
「あのう、マーカー。ちょっと座ってもいい?」 「はは、いいよ」
嫌な顔もせず承諾されたので、ほっとした妹弟子は、その場にしゃがみこみます。
すると、すぐ脇から小川の細流が聞こえてきました。彼女は地面を這うようにして、そちらに近づいてゆきます。冷たい水を両手ですくい口に含めば、なんとも言えない清涼感に満たされるのでした。
「あれ、アクリルじゃないかな」
マーカーが不意に指さした方向を見ると、確かにその河原では黒髪──いえ全身黒ずくめの姿をした少女が、三脚に画板を立てて絵を描いているようでした。
「先生が呼んでるって、教えてあげなくちゃ」 クーピィが言うと、
「任せるよ。君のほうが彼女のお気に入りだからね」
姉弟子はいたずらっぽく笑って、義妹の背中を軽く押します。そう、アクリルは普段あまり感情を表に出さないし、口数も少ない……けれども、なぜかクーピィと話すときだけは、その態度にいくばくかの温かみを感じられるんだ……と、マーカーは思い返していました。
「ねえ、先生が講義堂にきなさいって」
アクリルの傍に寄り声をかけると、彼女は長い髪を静かに揺らし、印象的な赤い瞳をクーピィに向けました。まるで悪魔を思わせる──そう形容するのは失礼だけれども、そんな雰囲気を漂わせる少女。
「そう、ありがとう」
彼女は抑揚のない調子で答えると、画材一式を片付け始めます。
「え、ええと」
もうこの場から離れてもいいのか、それとも会話を続けるべきなのか。状況を把握しかねているクーピィでしたが、そんな彼女にアクリルから呼びかけてきました。
「どうしたの、一緒に行く?」
そういって微笑む少女は、先ほどの姉弟子と同じくクーピィの手を取ります。向かい側でそれを見ていたマーカーは、「やっぱり」という表情で笑うと、一人で講義堂の方に向かって歩き出しました。
「遅かったわね。すこし緩んでいるんじゃないかしら」
出会うなり憎まれ口をきいたのは、赤い巻き毛をたなびかせ、左目の下に泣き黒子を持った少女。弟子たちの最年長と思われる彼女は、ゆっくり歩いてきたクーピィとアクリルに、冷ややかな視線を投げかけます。見ると講義堂には、すでに二人を除く全員が集まっていました。
「ご、ごめんなさい」 末弟子が泣きそうな顔で謝ると、
「いつまでに集合とは聞かなかったけど」 アクリルはそれを遮るように呟き、赤毛の少女を一瞥しました。それを受けた義姉の顔がみるみる紅潮してゆくので、慌ててマチエールが庇います。
「クーピィは小さいですし、アクリルも彼女の歩調に合わせてきたのですから……ね、テンペラ」
「それでも、あとから出発した貴女の方が先に着いているのよ」
「わたしはその、走ってきましたし……」
不毛な争いに発展しそうなので、マーカーも苦笑して仲裁に入ります。
「ほら、ぼくたちは喧嘩するために集まった訳じゃないんだから」
さらに彼女は、憤懣やるかたない姉弟子に耳打ちします。
(ここは大人の度量ですよ)
そう言われては続けるわけにもいかず、テンペラは忌々しそうに咳払いして席につきました。クーピィも胸をなでおろし、自分の席に座ります。
と同時に、講義堂の奥から───
「皆、揃いましたね。では私の話を聞いてください」
───偉大な魔法使いの声が響くのでした。
画術師クーピィ
Art magician coopy |
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